生命科学楽しみ隊

生命の持つ不思議や神秘に魅了されております。ここでは生きた証として残しておきたい知識を記しています。

【多摩動物公園】ヨーロッパオオカミのおはなし

 

私がはじめて多摩動物公園のオオカミ舎を訪れた時は、数頭のオオカミたちが放飼場にいた気がします。

当時あまり興味がなく、よく覚えていないことを今悔やみます。

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(2015年頃の写真)

 

それから数年、私が多摩動物公園のオオカミ舎に通うようになった時には4頭のオオカミが暮らしていました。ロイ、ロキ、ネロ、セロです。

今年の3月にスイスから新たな個体、スイちゃん(♀)が来てくれましたが、私が数年前出会った兄弟たちは日に日に老いていき、今は悲しいですがセロしかおりません。

 

ここには、私の知らないはじまりの物語があり、あるヨーロッパオオカミの一家が暮らした歴史があるのです。

全部を知ることはできませんが、多摩動物公園が遺してくれているブログから、話をまとめてみました。放飼場を見るとき、みんながいたことを思い浮かべられるように。

 

 

 

 

ヨーロッパオオカミの来園

もとより、多摩動物公園ではチョウセンオオカミという種のオオカミを飼育していました(*1)。

その最後の個体が亡くなり、一年ほどはオオカミの飼育が途絶えていましたが、2001年にロシアのモスクワ動物園から二頭のヨーロッパオオカミ(タイリクオオカミの亜種)が来園し、飼育が再開しました。

二頭はオスとメス一頭ずつで、オスはオオカミ王ロボより「ロボ」、メスはもののけ姫より「モロ」と名付けられました(*2)。

 

ロボ:2000年5月7日 生

モロ:1998年5月9日 生

 

はじめは、現在アムールトラの展示場になっている場所に二頭が暮らしていたそうです。開園のチャイムに合わせて遠吠えをしていたとか。

 

 

ロボとモロの子供たち

二頭の相性はよくペアリングにも成功し、モロは四年連続出産をしました(*3~*6)。

 

一回目の出産は2005年3月22日、五頭の赤ちゃんが生まれました。

オス二頭、メス三頭です。このうち、オス一頭とメス二頭は他園(浜松市動物公園)へお引越しし(ゾロ♂、ロコ♀、サン♀)、多摩にはオスの「ポロ」とメスの「ミロ」の二頭が残りました。

 

二回目の出産は2006年4月17日、二頭の赤ちゃんが生まれました。この時は、放飼場での自然繁殖だったようです。

この年は、オス一頭とメス一頭で、オスが「ロン」、メスが「チロ」と名付けられました。

 

三回目の出産は2007年5月13日、四頭の赤ちゃんが生まれました。

オスが三頭、メスが一頭で、オスは「ロト」、「ロイ」、「セロ」と、メスは「マロ」と名付けられました。

 

四回目の出産は2008年4月27日、四頭の赤ちゃんが生まれました。

オス二頭メス二頭で、オスは「ロキ」、「ネロ」と、メスは「リロ」、「メロ」と名付けられました。

また、悲しいですが、この年には2005年に生まれた「ポロ」が亡くなっています。

 

 

ロボとモロの子たちは上記がすべてで、これ以上増えることはなく、彼らはロボとモロを群れのリーダーとしたパック(群れ)で過ごしていました。

群れのリーダーはオスとメスが一頭ずつで、それぞれがアルファオオカミとよばれていて、このアルファオオカミ同士のみ交尾・出産が許されています。

 

アルファの次に力を持つのがベータオオカミとよばれるもので、こちらもオスメス一頭ずつ存在します。

そのため、ベータの位置をめぐって兄弟姉妹間でいろいろあったそうですが、私はその当時を知らないので、個人ブログを書かれている方の記事を拝読させていただいています。

 

 

 

アジアの平原と群れの衰退

肉食で歯もするどい彼らです。

10数頭が一緒にくらしていれば、放飼場もガタがくるのは想像できます。

修繕も行っていたようです(*7)。

修繕中は、現トラ舎から、現オランウータン舎へ一時退避です。

 

それから数年、草の生い茂る広い放飼場にパックごとお引越しをしました。

それが今の「アジアの平原」です(*8)。私はここので彼らしか知らないのです。

アジアの平原のオオカミ舎は、室内のお部屋も見えるようになっていて、外は大きな池とモートのある大放飼場と、水飲み場や高い岩がある小放飼場のふたつがあります。

 

放飼場の近くにはベンチがいくつもあり、大放飼場の前には人が休める小庭もあり、私のお気に入りの場所でもあります。

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アジアの平原ができる少し前、群れを追放されていたという「ロン」が亡くなりました。

そして、アジアの平原へパックがお引越しして数か月後、母親の「モロ」が亡くなりました。骨肉腫だったそうです(*9)。

モロが亡くなった後、メスは「リロ」が仕切っていたそうですが、メス同士の争いは激化し、五頭のメスはそれぞれ別々に過ごすことになったようです。

 

オスも、ベータの位置をめぐり争いがあったようで、当時ベータの位置にいたというネロは、後のベータのロイから猛攻撃をうけていました。

私が出会ったときに見た「耳のないネロ」は、この時の傷のせいだと後で知りました。

そして結局ネロも群れには戻れなくなりました。

 

兄弟たちも、別の園に移動したり、新たな個体を受け入れペアになったりと、いろいろ道はあったのかもしれませんが、動物の移動(特に海外)は自由ではないので、仕方なかったのかなと。

 

2014年には、父親の「ロボ」が亡くなり、群れはリーダーを失った子供たちだけになりました(*10)。

そして子供たちも老いていき、2016年には「ミロ」、2018年には「マロ」、「チロ」、2019年には「リロ」、「ロト」が亡くなりました。

 

残った兄弟たちは、仲のよかったロイとロキが同じ放飼場に、セロ、ネロ、メロが交代で別の放飼場に出ていたようです。

 

その後は、2022年に「メロ」がなくなり、2023年の年明けに「ロキ」、「ロイ」が亡くなり、ネロとセロだけになりました。

そして、2024年の春に「ネロ」が亡くなり、今はセロが群れの最後の一頭として多摩で暮らしています。

 

私はロイ、ロキ、ネロ、セロの四頭しか追えませんでしたが、ロボとモロがやってきて、群れができた時からずっと通っている方とお話させていただく機会もあり、その方は群れの最盛期から今の衰退までを見てきたそうで、残ったセロを見守るあたたかな目が印象的でした。

写真を撮ることも楽しみの一つではありますが、その方はカメラを持たない日もあるそうで、本当にただ見守っているのだなというのが伝わります。

私もカメラを向けるばかりではなく、こちらをちらっと見てくれるセロをもっとこの目に焼き付けたいなと思いながら日々訪れています。

 

これからまた暑い季節が来ますが、どうか無理なく過ごしてほしいです。

 

私が追えた四頭の記録と、新入りのスイちゃんのお話はまた別の記事で書こうと思います。

今回はこれで。

ありがとうございました。

 

 

 

<参考記事>

*1

ヨーロッパオオカミ登場!──多摩 9/7 | 東京ズーネット

 

*2

ヨーロッパオオカミ名前決定 | 東京ズーネット

 

*3

ヨーロッパオオカミ出産──4/22 | 東京ズーネット

 

*4

ヨーロッパオオカミ繁殖!!──2006/04/20 | 東京ズーネット

 

*5

ヨーロッパオオカミ、今年も誕生! | 東京ズーネット

 

*6

今年もヨーロッパオオカミに期待大! | 東京ズーネット

 

*7

捕獲せよ!──ヨーロッパオオカミのお引越し | 東京ズーネット

 

*8

新施設「アジアの平原」、4/26から公開! | 東京ズーネット

 

*9

ヨーロッパオオカミ「モロ」が死亡しました | 東京ズーネット

 

*10

ヨーロッパオオカミ「ロボ」が死亡しました | 東京ズーネット